稽古参加者の声(マイケル_アメリカ合衆国)

2024年2月20日

マイケル リンジー (新壯風館)

アメリカ合衆国オクラホマ州タルサ市

流行りのchatGPT翻訳です。

 

「私は幸運にも、岩波先生と共に修行を積んだ「之久会」での経験からほぼ20ページに及ぶノートを記録する機会に恵まれました。そこでの剣道体験は、今後の人生に影響を与えるでしょうし、このレポートで詳しく説明するために一つのトピックを選ぶのは難しいでしょう。しかし、私にとっては一つの特別なレッスンが他とは異なって際立っています:気合い(気合)。

武道全般には理解が非常に難しい側面が多くあります。岩波先生は何度も、多くの異なる概念についてこれを私たちに言及しましたが、個人的には気合いの重要性の背後にある真実は、私が剣道でうまく実践できるほど十分に理解していなかった要点でした。私は剣道を始めて以来、気合いを間違えてきました。

岩波先生は、気合いは攻めと同様に、人の「心」から来ると教えてくれました。もし人の心が関与していなければ、攻めはありません。しかし、剣士が練習する多くの状況では、この関与を維持することが外部および内部から強い攻撃を受けます。恐怖、混乱、疑念、驚き、疲労、欠点など。しかし、これらの影響を受けていても、あなたの気合いは強くなければなりません。たとえあなたが持っているためらいがあっても、攻撃的でなければなりません。

剣道は戦いでも相手を安価に点で負かそうとすることでもありません。剣道は、参加者がお互いに完全に集中し、外部の影響から自由であることを要求する深いレベルのコミュニケーションを伴うものです。気合いを使って、丹田に緊張を引き寄せることで、気を散らし、相手に完全に集中することができます。

このようにして、心と精神を正しい行動に絶えず努めさせることができます。このようにして、剣道は武道になります。練習の主な目的は、人間性を鍛えることです。

剣士が練習の初めから一生懸命に働くほど、一貫した集中力と精神的安定性を維持することは難しくなります。しかし、これが剣道の目的です。心を鍛えて極度の苦痛や状況に耐えるようにすること、それは武士が真剣勝負に取り組むのと同じ精神で取り組むものです。これはすべて、私が考えるに、より強い剣道への入り口である気合いから始まります。

私は岩波先生や之久会の他の皆さんの助けなしでは、この理解に至ることはなかっただろうし、永遠に感謝しています。剣道の中には語ることができることもありますが、本当に理解するには感じる必要があります。私は四区会で初めて気合いを感じました。

岩波先生と四区会の皆さんのおかげで、私はこの理解に至ることはなかっただろうし、永遠に感謝しています。剣道の中には語ることができることもありますが、本当に理解するには感じる必要があります。私は之久会で初めて気合いを感じました。

この理解は、私が以前に経験したことがないような高い気分で、剣道を始めて以来、私が感じたことがなかったものです。私は剣道で気合いを感じることができたことを誇りに思います。岩波先生のご指導のおかげで、私は気合いを通じて自己制御と精神的な安定性を維持する方法を学びました。

これからも、この貴重な経験を胸に刻み、剣道の道を究めていきたいと思います。ありがとうございました。

以上、私が岩波先生と之久会で経験した素晴らしい学びと成長についての報告でした。

 

2011年7月

Mr. Michael Lindsay
Tulsa OKLAHOMA, USA

I had the great fortune to record nearly twenty pages of notes from what I experienced at Shi Ku Kai working with Iwanami sensei. The kendo I experienced there will influence me the rest of my life, and it would be difficult t choose just one topic to elaborate on for this report. However, one particular lesson stands out in my mind from the rest: Kiai. 

There are many aspects of Budo in general that are very difficult to understand. Iwanami sensei mentioned this to us several times about many different concepts, but for me personally the truth behind the importance of kiai was a linchpin that I had never understood well enough to implement in m kendo. I have done it wrong ever since I started practicing kendo.

Iwanami sensei taught me that Kiai, like Seme, comes from the “heart” of the person. If the person’s heart is not engaged, there will be no seme. However, there are many situations in which kenshi practice where maintaining this engagement comes under heavy assault from both the outside, and the inside; fear, confusion, doubt, surprise, exhaustion, frustration, etc. However, even when you are experiencing these influences, your kiai mus remain strong. You must be aggressive, regardless of any hesitation you might possess.

Kendo is not about fighting, or trying to cheaply beat the opponent to points. Kendo involves a deep level of communication that requires participants to be totally focused on one another, free from outside influence. By using kiai–pulling tension into the tanden–you can push aside distractions and focus totally on th opponent.

In this way, you can train your mind and spirit to continually strive towards correct action. In this way, Kendo becomes Budo–the primary goal of practice being to train ones humanity. 

The harder a kenshi works from the beginning of practice forwards, the harder it becomes to maintain constant concentration and mental stability. However, this is the purpose of kendo; training the mind to endure states and situations of extreme duress–in the same spirit that a samurai woul approach Shinken Shobu. This all begins with Kiai, which in my opinion is the gateway to stronger Kendo. 

I would never have come to this understanding without the help of Iwanami sensei and the rest of Shi Ku Kai, and I will be eternally grateful. Some things in Kendo can be spoken about, but must be felt to be truly understood. I felt Kiai for the first time at Shi K Kai.

Michael Lindsay
July, 2011

Posted by shikukai